恩讐を越えて
会津藩にとって 長州は
決して許すことの出来ない 仇であり
その怨念は
いまだに 受け継がれております
戊辰戦争(奥羽 北越戦争)
鶴ヶ城が落城
白虎隊は 飯盛山で集団自決
でも一人だけ 急所を外し
生き返った人物が居た
その人物の名は 飯沼貞吉 14歳
飯沼貞吉を長州に連れ帰り
何度も 自決しようとする彼を
日本人として 結束する事の大切さを諭し
現在の美祢市の 高見家に 彼を養育させた
成長した飯沼貞吉は
日本陸軍技術部総督として日清戦争に出征
77歳で生涯を終えた
この話は つい最近になって
飯沼家の子孫達の 知るところとなった
そして除幕式は この言葉で締めくくられた
今日 飯沼家があるのも
その時の この地での営みのおかげ
歴史を遡って 心より御礼申し上げます
この碑には
過去の恩讐に 拘るのではなく
恩愛の絆によって
新しい道を 切り開いて行く と言う
普遍的な 願いが込められています
自分は
2014年に 会津に立寄った時
鉄筋コンクリート造りになった鶴ヶ城を見て
とても 後ろめたく申し訳なく感じたものでした
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